第一話

 二人の獣人が大通りを歩いている。
 二十歳そこそこのワーウルフは怪我とまだ興奮覚めやらぬ様子から喧嘩直後なのは明らかだった。
 その隣を導くように歩いているのは、体格からして彼より二回りは大柄の熊男、こっちはもうちょっと年齢的には落ち着いた頃だろうか。
 特にこれといった会話もなく、二人は熊男が生活しているマンションの前まで到着した。

 物語はほんの二十分程度前に遡る。
「ぐはっ……」
 鉄拳で腹を抉られ、チンピラのうちの最後が白目を剥いて路地に倒れた。
 青年、と呼ぶにやっと相応しい年齢になったばかりの拳の主は、ふと口の端から滲む血を  手で拭うと、乱れた息のままふらふらと去ろうとしていた。


「雨が……降りそうだな。」
 ぽつりと、誰に言うでもなく呟いた。
 シックルはファサッ、と尾を振った。
 くすんだ灰緑の裏路地の風景は、建物も今にも崩れそうに老朽化しており、 この国の獣人自治区の中でも一層経済状態の悪いところとされている。
 別に用事があった訳でもなく通ったのが不用意だといえばそうかも知れないが、 まさかここでチンピラたちに絡まれるとは思いもしなかった。
 閉店した商店、いかがわしい店鋪、もう点灯することはないだろう退廃的なネオン。
 ここも自分の居るべきところでもないな、とまたあてもなく表通りの雑踏に紛れようとした時―。
 シックルの耳がピクン、と動く!!
 振り向きざまに一撃、起き上がってナイフを片手に背後から襲い掛かる相手に強烈なカウンター、サッ、と数本の体毛が空中に舞った。
 余りの卑劣さに、そのままトドメを刺そうとして、その手首をまた背後から掴まれる。
「やめとけ、もう気を失ってる…。」
 落ち着いた口調に振り返ると、そこにいたのは件の熊男だった。


「………アンタ一体…。」
「随分と景気の悪そうな顔してんじゃねぇか、喧嘩に勝ったっていうのに。」
 警戒心から腕を振り払ってまた身構えようとするシックルに、
「ははは、そうとんがるなよ。俺ぁ何もお前に危害を加えようってんじゃないんだ。 見てたぜさっきのナイスファイト!」
 気さくな口調だったが、シックルにしてみれば、 傍観しているぐらいなら助けに割って入れという気持ちになり、余計に気分を害した。
 無言のまま表通りに抜けようとするシックルに、その男は訊いた。
「行くアテがあるようには見えないんだがな…。」
「!!」

 どんよりと窒息しそうな程に重たい鈍色の空、それはシックルの心境そのままだった。
 高校を卒業以降、あてもなく両親の残した部屋をねぐらにしては、職を転々としていた。
 人間と獣人のハーフ、という中途半端な立場が災いしていることもあるのだろう。
 しかしそれだけが原因ではないことは本人が一番良く自覚していた。
 生きにくい性格、そうシックルは自分を定義している。

 この国で人間と、それから獣人が住み分けて暮らすことになったのはずっと昔のことだ。
 それが何がどう間違えたのか、シックルの両親は禁断ともいえる出会いからすぐ恋に落ち、 そして周囲の反対を押し切って結ばれた。
 しかしそれは、お互いの寿命を極端に縮めてしまうことをも意味していた。
 ………神様の御意志に反したから。
 そう言われている現象だ。
 宣告通り、シックルの父親は彼が生まれてからすぐに、そして母親も高校を卒業する 少し前に死を迎えてしまった。
 禁断の契りの証し。
 混血、というどっちつかずの種族という宙ぶらりんのアイデンティティ。
 大好きな両親の寿命を縮めてしまった自分という存在。
 そんなものを意識しだしてから、彼は笑顔を忘れ、次第に周囲と距離を置くようになっ てしまった。
 心構えがそうだからか、彼を雇い入れる職場も限られており、現在は無職生活ももう 数カ月目に入ろうとしていた。

 その熊男、ブロウの住処はそこからしばらく歩いた辺り、一応は表通りに面したフラッ トだったが、部屋に入るとボクシング用品などが置いてあることから何かの関係がある ことは見てとれた。
 壁にギターが立てかけてある。
 机に立ててある写真には母親と妹らしい二人と一緒に映る本人。
「まあ、ムサッ苦しいだろうが我慢してくれ。名前は?」
 ブロウは既に自分から名乗っているのでぼそっと一言だけ、
「シックル」
 と答えた。


第二話→


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