第二話

「シックルか、いい名前だ。今は何してるんだ?」
まるで街頭でよく見られる、無職青年対象の何かの怪しい勧誘か、
警察の尋問のような口調に、シックルは一瞬だけ口籠って、
「今の仕事はすぐ変える予定なんで、ちょっと…。」
と返した。
ふうん、という感じの表情だが、無職と言いたくないことだけは察し、
ブロウもそこから深く踏み込むことはしなかった。
そんなブロウの対応をシックルは賢明だと感じた。

「雨、本降りになってきたな。」
仕事から話題を変えてくれたことにシックルはちょっと感謝して、
「そう…、ですね…。」
「怪我の手当てしとくか。」
「えっ?」
先ほどのチンピラの不意打ちのナイフ攻撃で、左腕からうっすらと血が流れていた。
たいした傷ではなかった様だったので、断ろうかと思って言葉が喉から出る前に、
ドッカと大きな救急箱が置かれ、カパッと開いてヨードチンキ取り出す。
優しそうだが、さっきからペースを持っていかれてばっかりだ。

ザアーッ、と銀の雨が厚い鉛の雲から地面へ無数に差し込む。
手当てをして貰いながら窓から見える町並みは昼間なのに黒いシルエットだけになり、
それから程なくして輪郭すらはっきりしなくなった。
「あー、こりゃ駄目だ。今日、泊まってけよ。おっしゃ!手当てはこんなもんか。」
もう終わったのか、と驚いたが、また断るのがワンテンポ遅れた。
「夕飯、どうしようかなぁ。どっか食いに行きたいかったんだがこの雨じゃな…。」
「ああ、それなら僕が作りますよ。」
「おっ!?そりゃ助かる、頼むか。」
ここで遠慮されても面倒だが、妙に話の通りがいいことがシックルには有り難かった。
「冷蔵庫にあるもんでどうにかなるか?」
「ええ…、充分ですよこれで。」
この年齢にしては一人暮らしも長かったし、冷蔵庫の中身を見れば適当に
作れるメニューも頭に思い浮かぶ。
野菜の豊富に入ったミネストローネ、それからパンと、ガーリックで味付けした
オリーブ油でソテーした鴨肉数枚の横にはサニーサイドの目玉焼き。
「こんなもんでどうですかね?」
「はぁ…、こりゃ驚いたな。何だ、晴れてたら行こうかと思ってた店より旨そうじゃないか。」
「………そうですか、それは良かった…。」
もうここは流れに任せるしかないか、そう感じた。
しかし怪我の手当てがプロ並に手早く、そして手慣れているのがさっきから気になっている。
壁にかかったグローブなどから見て、やはりプロボクサーかそれ関係だろう。
そんなことを考えながら、軽く炙ったパンの匂いも手伝って、
シックルは空腹を満たすことに専念することにした。
久しく誰かとテーブルを共にしていなかったせいか、不思議と食事が進んだ。

食後、ややあって、
「少しシャワーでも浴びてくる。そっちもまあテキトーにやっててくれ…。」
「はい………。」
やはり、先ほどからボクシンググローブが気になって仕様がない…。
シックルは思わず、手にとって眺めていた。


「気に……なるのか?」
背後から声がして振り向くと、頭からバスタオルをかぶったブロウが
水気を拭き取りながら、グローブを見ているシックルに微笑んでいた。
「俺は今、ジムのトレーナーやっててな。まあ、それは副業で、ラジエータの
工場にいるんだ。」
「へー……。」
案の定か…。
「そうそう。それと、お前こんだけ料理が出来てたってことは、もしかして
今はアレか?そういう関係の仕事でも?」
「いえ、別の業種です…。」
言われてみれば、料理関係の仕事に就いたことというのは一度もなかった
のも不思議だなと思った。

「もう転職するんだろ?ここちょっと当たってみてくれ。知り合いがやってる
店なんだが、バーテンが一人、先月独立しちまってなぁ。人手が足りないんだ。」
「そう、ですか……。」
そういって、ブロウはシックルにメモを渡す。

翌朝、シックルは朝食を済ませると一旦自宅に戻った。
たっぷり熟睡したにもかかわらず、まだベッドで横になっていたい気分だ。
それからぼんやりと天井を眺めてから、ため息を一つついた。
数分後、シックルは出かける身支度をしてから紹介されたカフェとやらに出向いた。
働きたい、と明確な気持ちはなかったが、自然に足が向いた。
何か生活が変わるような気がしたのだ。
「あの………。」
カウンターの奥にいたのは割腹のいいコアラ男だった。
背後にあるグラス類や並んだボトルなどから、夜間は喫茶店から様変わりするのは
何となく分かる。
「いらっしゃい…。何にします?」
「いや、実は客じゃないんです…。」
「ほう?」
「あ、あの。ブロウさんって人にここ紹介されて…。」
ブロウ、という名前を出した途端、ニヤッとコアラ男は笑いながら、
「ほう、オマエさんがシックル君、ってワケか。ハッハハハ、案外早く来たな。」
「えっ?」
「朝イチで話は聞いてる。支配人のパルウェイだ。」
それから表情を崩すと、
「しかしまさか、手ぶらで来るとは随分慌てて来たんだな。」
「あっ…。」
履歴書も書かずに何やってるんだ、と自分の行動が衝動的かつ非常識なものだと自覚した。
パルウェイは近くのコンビニで用紙を買ってこいと笑った。

かなり赤面しながらカウンターの机で履歴書を作成、それから簡単な面接。
あっけない採用だった。
待遇も職種と履歴からすればそうは悪くない。
少なくとも両親の遺産を食いつぶす生活はもう終えられそうではある。
(いいのか、こんな流れで?)
あまりに安易に動き始めた運命に戸惑うばかりのシックル。
履歴書の意味があったのかすら分からないが、手ぶらで来たという
のは間違い無く常識がないなという恥ずかしさは残る。
今日は昼間だけでいいということで、ランチタイムの皿洗いやウェイター、
それから簡単な厨房での作業とてんてこまいだ。
「何だ、手慣れたもんじゃないか、雇って正解だったな。」
「あ、ありがとうこざいます。」
パルウェイに声をかけられ、返答する。

7時ぐらいからこの店は夜のショットバーに変わる。
今日の仕事は5時半までとなっていた。仕事が終わる頃に、ブロウが店に顔を出した。
「どうだ?うまくやってるようだな。今日はそろそろ終わりだろ?
そうそう、ちょっと寄ってかないか?」
「えっ、どこへ?」
流れからその質問も随分と馬鹿げているとは思ったのだが。
そして店のすぐ近く、ブロウが勤めいていると思われるラジエーター工場の裏に
ボクシングジムがあった。
「まあ、入れよ。」
ブロウに促されて、ジムの中に入る。
そして、ブロウは着替えにロッカー室に入っていった。
トレーナー姿のパルウェイ会長とブロウを見て、ベタだな、と思うシックルだった。
「ちょっと汗流してかないか?」
「えっ…。」
つくづく自分は選択肢を与えられないのか、と思った。
(こんなに弱気なヤツだったのか!?)
そう考えて、むしろ周囲の強引さが原因なんだと納得していたら、
ブロウからグローブを渡された。


「着替えて、リングに上がれ。」
「えぇっ!!?」


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